東大YMCA寮の歴史
東京大学YMCAの歴史は1888年に始まります。120年以上にわたる歴史の中で、本会は、吉野作造、片山哲、河田茂、斉藤勇、藤田逸男、堀豊彦、森有正等、日本の近代史に名を残すことになる数々の人材を輩出してきました。
1.草創期
2.台町会館時代
3.追分寮時代
4.戦争の荒波
5.敗戦からの復興
6.新舎完成から現代まで
1.草創期
東京大学YMCAは、アメリカYMCAより派遣されたジョン・トランブル・スイフト氏の指導のもと、大西祝ら9人によって、「帝国大学青年会」として1888年5月13日に発足しました。1890年には、西片町10番地「に」の23号室を、第一高等中学青年会と協力して借用し、「連合会館」として共有し始めるに至ります。帝国大学青年会は日本の学生YMCA運動の始まりに当たりますが、草創期の理念の一つは、「会員相互の信仰を深め、会員を通じて大学内に基督教を宣伝える(のべつたえる)」というものでした。
スイフト氏らと初代YMCAの創始者たち
スイフト氏らの寄付金を資本とし、1889年に本郷台町30番地に370坪にいたる広大な敷地を購入し、1895年に設立委員会が発足し、1898年に着工しました。この年の9月には12名の舎生が入舎し、朝の祈りである早祷(早天祈祷会)が始まりました。1900年より、水曜祈祷会や聖書研究会が始まり、外部に対して活発な活動を行う方向性が確立されました。そして、公開講演会や世界学生キリスト教連盟のジョン.R.モット氏を招聘した講演会、八王子伝道旅行、各高等学校青年会への入舎勧誘などの活動が開始されました。1908年には、会報が発行され、新会館設立の機運が高まります。大正元年、台町会館は売却され、駒込千駄木木町38番地に仮の住まいを求め、1916年4月12日、追分新会館に移転しました。
3.追分寮時代
青年会は熱意に燃え、この時期、賛育会や、家庭購買組合、法律相談所など、様々な奉仕活動がなされました。賛育会は当初、医学部の学生らにより企画され、健康保険制度の無かった時代に「隣人を愛せよ」という精神のもとで始められました。その後は、医学部を卒業された方々を含め医療分野につぎつぎと進展し、近年では老人福祉事業の提供をはじめ、いまも社会福祉法人として活躍しています。また、学生招待会や、高校YMCAに対する伝道隊の結成、卒業後も同期会などが発足し、活発な活動を行いました。1923年には関東大震災があり、大きな損傷を被りましたが、先輩や学生の賛助により1924年に修復されました。
追分時代の東大YMCA寮
4.戦争の荒波
日清、日露、第一次世界大戦を経て、国内の情勢は不安定になり、国外にも帝国主義が拡大してゆくなか、言論統制がなされました。このような時代にあっても、キリスト者として何をなすべきかという議論が活発に行われ、子供の教育が大切だという思いから、日曜学校が始まりました。第二次世界大戦によって内外の情勢がさらに不安定になり、一人また一人と学徒動員がなされていきました。しかしクリスマス会は継続され、昭和19年からの6年間は、森有正が『夕鶴』や『本郷』などでの著作で知られる木下順二らと活動をともにしました。
追分時代の本郷通り
5.敗戦からの復興
敗戦を迎え、東京大学では戦前の反省から、キリスト教の学問的研究が始まりました。さらに、1949年には青年会、東大基督教共助会、東大聖書研究会、同志会、東大カトリック研究会の5つによって東大キリスト者連合会が設立されました。ここでは、平和と愛の倫理的な基盤を確立することを目標として、様々な活動がなされました。 この時期には、戦後にあったキリスト教ブームのためもあって、様々な学生の志望が激増しました。また、宗教音楽研究会、子供会、同人誌『あめんどう(神と主に目覚める・エレミヤ)』などが発足しました。
6.新舎完成から現代まで
新しい寮(寄宿舎)が1976年に設立され、新しい歩みを始めました。時代の変化の中にあって、草創期に始められた毎日の祈りは現在も続けられています。私たちは、聖書にもとづく信仰生活を求める生活を送っています。近年では社会奉仕活動に加え、国際的交流も活発に行われています。
新しい寮(寄宿舎)が1976年に設立され、新しい歩みを始めました。時代の変化の中にあって、草創期に始められた毎日の祈りは現在も続けられています。私たちは、聖書にもとづく信仰生活を求める生活を送っています。近年では社会奉仕活動に加え、国際的交流も活発に行われています。